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日々、何を観て、何を聴き、何を読んだか記録しておくブログ。

解釈の相違を補完 - 死霊のはらわた

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映画「死霊のはらわた」のリメイク版を一人で観た。

一応、通して観るのは二回目。

とりあえず、簡単に感想を書こうと思う。

まず、オリジナル版の「死霊のはらわた」について少しは触れた方がいいだろう。オリジナル版は八十年代に公開されたサム・ライミ監督の傑作で、スプラッター映画の礎を作った作品。今、観てみると半笑いになったり、ツッコミを入れたくなる場面がふんだんにあるとは言え、不気味な演出と種明かしのない不条理な怖さがマッチした良い映画だと思う。

さて、リメイクを作る時に大切なのは、オリジナル版の何を取り出すか、ということだ。それは作り手の解釈による部分が大きいので、何かの映画のリメイク版を観た時に、「オリジナルの方が面白いじゃねーか!ふざけんな!」となってしまうのは、観る側と作り手側に解釈の相違があるからなのだ。

その点、この「死霊のはらわた」のリメイク版は、脚本にオリジナル版の監督のサム・ライミ本人が参加しているので、リメイクすることによる解釈の相違は生まれにくい。むしろ、オリジナル版で描き切れていない部分の補正を行っているのだ。

例えば、死霊に取り憑かれる女の子が森でいばらにレイプされるという白眉の名シーン。実にしょーもない場面なのだけれど、オリジナル版だとその場面に必然性がなく、単なるB級感を増やすだけの役割しか果たしていないのに対し、今回のリメイク版ではそれにもきちんと理由があり、死霊の大ボスを復活させるための儀式の一つとされている。

また、オリジナル版で希薄だったキャラクターの描き方も、今回のリメイク版では、死霊が人間の弱さにつけ込んでくる、という設定を利用して兄と妹の確執や絆を描くことで、映画としての深みが増していた。

もちろん、半笑いになってしまう部分がないわけではない。死霊の大ボスが復活した時のベタすぎる曲とか、車の中でカギを落として拾ったら窓の外に何かいる!のベタすぎる演出とか、伝家の宝刀チェーンソーが登場した時のドヤ感とか。

けれど、それを差し引いても、なかなか楽しめる映画だったと思う。


ま、楽しめるの意味合いがちょっと違うけれどね笑

心臓を鷲掴み - 一九八四年

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何となく本棚に並ぶ本をぼんやり眺めていて、ふと、ジョージ・オーウェルの「一九八四年」を手に取った。

確か、二、三年前に読んだ小説だったと思う。「ビッグ・ブラザー」率いる党が支配する全体主義的近未来が舞台。主人公のウィンストンは心理省記録係に勤務する党員で、歴史の改竄が主な仕事。彼は以前から完璧な屈従を強いる体制に不満を抱いていた。そんなある時、奔放な美女ジュリアと恋に落ちたことを契機に彼は伝説的な裏切り者が組織したと噂される反政府地下活動に興味を示すようになるが、それが彼の人生を大きく変えていく。

作中にとても印象的な台詞があるので、引用しようと思う。

主人公のウィンストンが党に捕まって延々と拷問を受けるくだり。拷問する側のオブライエンの台詞。

以下に。

「(前略)われわれはとても引き返せないほど徹底的に君を叩き潰すことになる。これから君は、たとえ千年生きたところで元に戻ることが不可能な経験をするだろう。普通の人間としての感情を二度と持てなくなるだろう。君の心のなかのすべてが死んでしまう。愛も友情も生きる喜びも笑いも興味も勇気も誠実も、すべてが君の手の届かないものになる。君はうつろな人間になるのだ。われわれはすべてを絞り出して君を空っぽにする。それからわれわれ自身を空っぽになった君にたっぷり注ぎこむのだ」


当時、読みながら恐ろしくなったことを覚えている。そのことを妻に話したけれど、何が恐ろしいのかイマイチ理解できないようだった。

「その小説のどこが面白いの」と妻が訊ねた。「心臓を鷲掴みにされたみたいに苦しくて怖いところ」と僕が答えても、妻はやはり理解できないようだった。

無理はない。言葉で説明するのは難しい。うすら寒いというか、なんというか、自分の理性までウィンストンと一緒にひねり潰されたような錯覚に陥るのだ。今まで自分の信じてきたものを根本から覆されるような恐怖を感じる。

この手のことは出来れば誰かと話し合いたいのだけれど、当然のことながら、身近に本書を読んだことのある人間がいない。うまくいかないもんだぜ笑


劇場で四回 - ミッション:インポッシブル ローグ・ネイション

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映画「ミッション:インポッシブル  ローグ・ネイション」をついに四回も劇場に観に行ってしまった。我ながら異常だと思う。

ポップコーンとジュースを座席の脇に置いて、劇場の暗闇に親しみを覚えながら、スクリーンの向こうの世界に思いを馳せ、手に汗を握った、この夏。海にも花火大会にも行かず、ひたすらIMFの活躍に胸を躍らせた、この夏。今年の夏は、IMF一色だったと言っても過言ではないだろう。

幼い頃、「ターミネーター2」を観て映画の面白さを知った時のような純粋な気持ちを追体験することが出来たのは、年齢的にも素直に喜ばしい出来事だと思う。

そんな僕としては、この作品の「どうだい?楽しんでもらえたかい?」という問いかけに対してきちんとしたアンサーを提示しなければならないだろう。作品への感謝も込めて。IMFのメンバーに対して不誠実にならないためにも。


まず、大前提として、僕はこのシリーズの熱心なファンでは無かったということを書いておきたい。

高校生くらいの頃、テレビでチラッと第一作を観た程度だったし、きちんと腰を据えて観ようとも思わなかった。そもそもスパイ映画に対して魅力を感じていなかった。そんな当時の僕にローリングソバットを食らわせてやりたい。「お前は15年後、ミッション:インポッシブルの最新作を劇場で観た帰りに旧作のブルーレイを四本大人買いするし、その最新作自体も劇場で四回観るぞ!」と言って。


では、果たして、この作品の何が僕の琴線に触れたのだろう。

答えはシンプルで、悪役がやっつけられる時のカタルシスが半端ではないから。これに限る。それも、圧倒的に有利な立場にいる悪役が主人公たちのチームプレイによる頭脳戦に敗れる、というシチュエーションが肝だと思う。偶発的に勝つとか、銃やら爆撃やらの荒っぽいやり方で勝つのではなく、余裕をかましている悪役を罠にハメて勝つ、というカタルシス。スパイ映画の楽しみ方は人それぞれなので、僕のようなスパイ映画の新参者が言っていいかどうか分からないけれど、このカタルシスを無くして何を楽しめばいいと言うのか。

そんなこんなで、鴨居のTOHOシネマズを出てすぐ目の前のHMVに行き、旧作のブルーレイを四本大人買いし、IMFに入るための勉強だと言わんばかりに同じ映画を劇場で四回も観るほどハマりまくってしまったのだった。


僕からのアンサーは、これで充分だろう。

とにかく、今は、三年後くらいに公開されるであろう続編を首を長くして待っている。

パイオツ - 悪魔のいけにえ

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悪魔のいけにえ」を夜中に一人で観た。

内容に関しては今さら僕がどうこう言うまでもなく素晴らしいので割愛させてもらうけれど、とにかく、主演のマリリン・バーンズのパイオツが気になって仕方がなかった。

唸りを上げるチェーンソー、血塗れで悲鳴をあげまくる美女、何のバックボーンもなく殺されていく若者たち、作品としての見どころはたくさんあるのだけれど、何よりもパイオツに目を奪われる。

必然かどうかは分からないけれど、この手のスプラッタ映画のヒロインに巨乳が多いように感じてしまうのは、やはり、性的な倒錯と暴力衝動を同じものだと我々が錯覚してしまうからではないかと思う。少なくとも男性は。現実では有り得ない圧倒的な暴力による殺害や遺体の著しい損壊が性的興奮と結びついてしまうから、我々はスプラッタ映画を観るのではないか。だからこそ、数多のスプラッタ映画が作られるのではないだろうか。


考えすぎかな笑